「廊下トンビ」のいる学会
すでに1年以上になる。コロナ感染症が去年1月下旬から日本でも流行しはじめて。4月に緊急事態宣言が出されると、私たちの日常は「自粛」や「三密回避」の標語のもとに急激な変化を強いられた。日本EU学会も例外ではない。去年4月の理事会はオンライン開催となり、そのとき、秋の研究大会もオンラインの可能性を含めて準備を進めることになった。その後も事態は改善せず、7月、9月の臨時理事会で議論した結果、初めてのオンライン研究大会と郵便総会となった。応急措置ながら、滞りなく終えることができ、ホッとしている。この間の会員各位のご理解、理事の先生方のお力添えに心から感謝申し上げたい。
さて、オンラインは意外な有用性もあった。これまで海外から報告者を招聘する費用が学会財政を圧迫する大きな要素であったが、これがオンライン化で縮小でき、また招聘の可能性が広がった。ヨーロッパは時差8時間程度であるから、日本の午後の後半に配置すればライブでも報告をお願いできる。いわんや時差があまりない外国の場合はさらに報告可能な時間帯が広がる。ゆえに今後は、たとえ対面会合に戻ったとしても、海外報告者についてはオンライン・ライブ報告を積極的に考えてはどうだろうか。もちろん会員にとっても、開催校が遠くてもオンラインならば参加しやすい。報告をめぐる質疑応答の質と量は、対面式に劣ることはなかったので、対面に戻ってもオンラインも組み込んだハイブリッド方式がいいのではないかと思う。
だが正直にいえば、オンライン研究大会は、くたびれた。2020年度は対面式研究大会プログラムをそのままオンラインでやったのが、いけなかったと思う。半日、あるいは一日近く、何時間もPCの画面を眺め続け、メモをとったり、質問したりするはめになり、後になるほど集中力も落ち、目は疲れ、楽しさも薄れていった。これは是非とも改善して、オンライン用のプログラミングを工夫すべきである。たとえば、報告は最大20分にして、質疑に多く時間を取る。そして休憩をこまめに入れるなど。
もっといえば、これはもう死語だろうが、学会の「廊下トンビ」の部屋まで作っていいかもしれない。私が大学院生だったころ、どの学会にも、出てはくるが会場の廊下をうろついて雑談相手を探し回る先生がいらしたものである。中には恐ろしいハゲタカもいた。初めての学会報告を終えて休憩室にたどり着いた、若かりし私を狙って質問攻めで食いちぎろうとした本学会某理事。その御尊顔を今も忘れることができない。だが、そういう場外乱闘のような真剣勝負でなくても、学会での雑談は大事なのである。見知らぬ会員、あるいは憧れの大先生との雑談からヒントや情報を得ることもある。学会という場にしかない出会いの機会をオンライン研究大会でも作るべきではないだろうか。2020年度研究大会は懇親会がなかったのが残念だという声もあった。同感である。それも要は雑談の機会喪失を嘆いている。学会員同士の雑談であるから、日頃と違う雑談になることは間違いなく、そこから、人のネットワークや新たなアイディアが出てくることもあろう。なにも真面目一辺倒でプログラミングせず、少しはアソビもあっていいのではないか。
いよいよこの3月で理事長としての私の任期は終わる。2年間、学会をもっと面白くすることに尽力してきたつもりであるが、まだまだ面白くできると思う。その面白化タスキは、すべての会員にお渡ししたい。ぜひタスキをかけて、我こそは、と報告に挑んでいただきたい。
(2021年2月4日)
国を超える思考枠組みとしてのEU ──コロナを契機に思う
得体のしれないコロナウイルス感染症Covid-19に世界がここまで揺るがされるとは、この春、だれが予想できただろう。中国の武漢から燎原の火のごとく世界に拡がった。人の移動はかくも全球的になっている。パンデミック宣言に極めて慎重なWHO(世界保健機関)に業をにやした世界各国は、次々に渡航制限、都市封鎖あるいは外出自粛へと公衆衛生措置をとった。
EU諸国も例外ではない。外に向けては協調してEUの渡航制限を入れ、内にむけては各国まちまちに、域内国境を暫定的に閉ざした国も多かった。これはEU統合の現時点の成果の反映である。未だEUは独立した広範な公衆衛生権限をもたないから、多くが各国まかせになる。そして未知の感染症による生命リスクが不透明だった初期に、経済利益より人の生命・健康を優先させたのもEU諸国の政治道徳と人権規定からくるほぼ異論のない選択で、ただ優先のさせ方にいろいろ方法がでた。ゆえに各国まちまちの対応はEU崩壊の予兆でも何でもない…。こんな平板な解説は、だが、今さらどうでもよい。
むしろコロナの局面にあっても月並みな国民国家とは一味違う対応を見せているEUに、国を超えた思考枠組みとしてのユニークな貢献や可能性を私は見る。コロナ対策で打撃をうけた経済への復興支援金も、地球規模の課題である温暖化防止のEUの応答としてのグリーン・ディールに結び付け、温暖化防止に資するように貸しまたは与えるというのだ。ここに私は、短期的政治サイクルの国民国家からは出てきにくい、ユニークさをみる。
温室効果ガスの排出点は各国内にあるが、排出の結果生じる温暖化は各国を超えて広がる。しかもIPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)によれば、今日温暖化傾向は疑いのない事実であり、そのインパクトは地球の生態系全体に大規模に及ぶだろう(IPCC「1.5度報告書」2018)。こういう大きな外部性とリスクをもつ問題は、各国単位よりもマクロ地域あるいは全球単位の対応がより効果的である。EUの場合、地道に環境政策措置を発展させて、いまは持続可能な開発と気候変動対策も目標として基本条約に明記する(EU条約3条、運営条約191条)。EU諸国も温暖化防止パリ協定を批准している。そこでこの課題を、EU(とくに欧州委員会)が欧州議会(昨年末、気候非常事態宣言を出した)とEU諸国(欧州理事会・閣僚理事会)の支持、さらにはEU諸国民の世論の高い支持もえて実施するとなれば、各国内の政党政治の駆け引きや政権交代による政策転換のリスクから独立したEUがマクロ地域単位で長期的に一貫して取り組むことになる。EUならではの、より効果的な貢献になるだろう。コロナ騒動でもこの全球規模の長期的課題を見失わず、それに結び付けて対応しようとするEUは、高い見識を示していると思うのである。
だが、と私は立ち止まる。その美談にも冷や水を浴びせる現実があるではないか。たとえばある産業横断的ロビー団体はいう。グリーン・ディールは支持するけれども、いまはコロナ経済復興対策に専念すべきで「non-essentialな」(不要不急の)環境対策措置は後回しにすべきだ、と(Business Europeの欧州委員会Timmermans副委員長宛2020年4月10日付公開書簡)。だが、環境措置を不要不急としてきたツケが今日の温暖化傾向であって、2050年までに温暖化2度未満に抑えることを至上命令と捉えてグリーン・ディールが出たのだから、その措置に不要不急なものがあるという認識自体が誤っている、とグリーン陣営は反論するだろうが、いずれにせよ、これが美談に終わらないEUの現実である。つまり高い見識を示しても、どれほど実現できるかは別問題である。だからこそ、美談も多難も見ながら、いろんな学問手法で今のEUの等身大の姿を浮かび上がらせていくことが必要なのだ。EU研究は、だからやめられない。
さて、この秋の大会は、日欧EPA・SPAの総合的検討である。もちろん主題を正面から議論するのが目的である。だが、私はより広い役割もEUを研究する者には果たせるのではないかと思う。日本がEUとこうして長期安定的に政治的にも経済的にも緊密な協力関係を法的に盟約したことを契機に、国の単位にこだわる日本での論議(そこでは世界も諸国家からなる社会と観念される)に対して、国家からなる国際社会とも異なる、国を超える思考枠組みとしてのEUという面を、シニカルにいえば、国民国家的発想の盲点や至らない部分を映し出す鏡としてのEUを示し、そういう意味で「国を超える(post-national)」新たな視座から物を考える方法もあることを伝えられるのではないか。そんなことを、コロナがなお収束しない中、つらつら考えていた。皆さんは、いかがだろう。
(2020年8月31日)
You say “Goodbye” and I say “Hello”
2020年1月31日、ついに英国がEUを脱退した。2016年6月23日の脱退国民投票から3 年半余り。迫っては延び、また迫る交渉期限の中で、脱退協定の承認をめぐる、英国議会のあの手この手の活劇に、世界が何度も釘付けになった。 だがついに荒乗りのジョンソン騎手がラストスパートをかけ、2019 年12月の総選挙で同じ話 題に飽きた国民の支持をえて、脱退を敢行した。 英国のEU脱退(Brexit)が欧州史・英国史における一つの転換点であることは、明白である。その歴史的評価は、余燼が収まるころから本格化するだろう。当学会でも研究大会の一部として、いずれ折を見て、一つの学際的分析のセッショ ンをたててはどうだろう。
さて今後のEUをどう学問的に考察すればいいだろう。もちろん、今後EUと英国がどういう関係をとりもつかも、追うべき論題である。直近では、この6月末までに英国がEUと新漁業協定を妥結できるか。また6月末までに通商交渉の進捗がどれほど円滑か。こうしたことが、今後の関係の取り持ち交渉の安否の指標となるだろう。2020 年の年末までの過渡期間の延長をする かどうかを7月の欧州理事会で決めるからである。もっとも今のところジョンソン首相や英国の大臣たちは過渡期間の延長に合意することを 立法で禁じられている(2020年EU脱退協定法 33条)。しかし、案ずるには及ばない。これはジョンソン保守党政権が入れさせた条文で、保守党が安定過半数を握る英国議会は、必要とあらば立法を改正できる。法的には、こけおどしである。政治的には、どれほど英国がNo Dealを本気でカードにするかであって、双方にとって頭痛の種である新漁業協定の成否が試金石となるのではなかろうか。Take back control を合言葉にした脱退である。自分たちの漁場、自分たちの魚を守れというのは、市井に通りやすい論理 である。もっとも現実問題はそんな論理だけでは片付かない。当の魚がもはや漁場に涸渇しているから、どう守り育て持続可能な資源としていくかが問題なのである。だからこそ脱退後の英国もEUと協力して、北海の漁場維持のために漁業協定を結ばなくてはならないのだ。そういう屈託を見て取ることが肝要である。
これとは別に、英国なきEUが今後、域内・域外にどのような政策を展開するかも大事な問題である。その一角は、今年の秋の研究大会で、2019年の日欧諸協定を題材に取り上げることになる。若手会員を含め、ぜひ報告やポスターなど、積極的に応募していただきたい。
さらに、今後のEUについては、日々の変化の表層を超えた視点から考察を深めることも必要 だろう。たとえば、Brexitに至るまでに英国が繰り返した数々のEU 批判。その中で、他のEU構成国やEU市民にも共有されるだろう、普遍的な問題提起もあったことを忘れてはならない。その一つは、EU政策形成における多様なEU市民の声が十分に反映されていないという市民の不在問題、またの名を民主主義の赤字、あれは一向に解消されていないのではないか。欧州議会の筆頭候補方式も、2014 年にはうまくいっても、2019 年には失敗した。今後の命運も不透明であ る。世論調査では、2019年選挙で筆頭候補方式がモチベーションで投票した人はわずかで、むしろ気候変動と落ち込む経済をなんとかしてくれという動機で票を投じた人が大部分だったと いう(注) 。EU 市民の不在問題は一例にすぎない。Brexitという現象に終わらない、それを超えて EU に伏在する、万年病のような問題もあること に、我々も研究の目を向ける必要があるだろう。 イギリス人にサヨナラをいっても、自分に残る病にコンニチハを言われるなら、何も問題は変わらず解決もしない。そうか、そうか!ビートル ズのあの曲の極意は、そこにあったのか…!?
(2020年1月31日)
念力を超えて
4月より理事長として学会を盛り立てる役となりました中村民雄です。一つの話をまくらに、抱負を語りたいと思います。
今年3月のこと。29日のBrexit(英国のEU脱退)日が迫っても、英国議会はメイ政権がEUとまとめた脱退協定案を大差で否決し、次の一手も決することができずにいたそのとき、忽然と現れたのが、ユリ・ゲラーでした。1970年代にスプーンを念力で曲げる(と称する)パフォーマンスなどで一世を風靡したあの人物です。ちなみに平成生まれの学会員には、ポケモンGoのユンゲラーの人間版と思っていただければ結構です。もっともこの人間版はフーディンに進化せず、また不思議と老化もしないのであります。
そのユリ・ゲラーが3月22日、「念力でBrexitを止めてやる」宣言を公表。サイコ的に英国民の大半がBrexitを望んでいないと感じた。なればテレーザ、そなたがそれを強いるなら、われ念力でそれを止めん。こうのたもうた。あな、おそろしや。実際、本稿執筆時(憲法記念日)まで止まっているのであります。これは笑いぐさでしょうか。
ならばお尋ねしますが、私たちのどれほどが、念力を超える〈思念力〉をもって、EU進化史におけるBrexitの政治・経済的含意や思想的意義を論評し、またBrexitとEUの抱える諸問題との関係の有無を体系だって説明できるでしょうか。出来事をなぞり、目先の選択肢や予測にすぎない可能性を語ってお茶を濁していませんか。
いなBrexitだけではありません。そもそもEUなる存在を、単に集権的統合ありきの目線でのみ語るのではなく、集権的統合も脱統合や差異化もどちらも同時にありうるといった目線や、欧州茶碗の中の嵐とグローバル風を吹かせる目線からも、ためつすがめつ、思念し分析しているでしょうか。分析の道具立てを本当に我々は十分にもっているのでしょうか。自分の目線やモデルすら疑う内省をもって、日々、次なるリサーチに我々は取り組んでいるでしょうか。
こういう謙虚にして直球の知的探求を以て、私は日本EU学会を盛り立てていきたいと思います。ネット社会の今更、新情報を得るために学会に来る人は多くありません。そうではなく、星屑ほどある情報から玉を瞬時に選別し、星座を描くように学問的方法をもって関連づけて含意を読み解く。さまざまの星座の描き方(=リサーチ)の強靭さを異なる目線から議論して試してみる。そういう知的刺戟の悦びを求めて、会員は研究大会に来られるのだと思います。それを実現しましょう。企画に力を入れて学会を盛り上げ、また地方部会で練られた緻密な報告を推挙し、遠くであっても来てよかったと思える研究大会を実現していきたいと思います。こうして新参の会員であっても発言し報告したくなるような雰囲気をいっそう高めていきたいと思います。
どうぞ皆様、ご参画のほど、よろしくお願い申し上げます。
(2019年5月3日)